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監督 深作欣二について

来歴

1953年(昭和28年)に東映へ入社。1961年(昭和36年)、千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。
千葉とはこののち17作品でコンビを組み、ヒットを連発していきます。『風来坊探偵』シリーズ、映画『ファンキーハットの快男児』シリーズ、1966年の映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は、テレビドラマ『キイハンター』 (1968年 - 1973年) の土台となった作品で、『キイハンター』の企画にも関わり、第1話を演出しています。『ジャコ萬と鉄』、日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を黒澤明が降板したため、後任となった舛田利雄から懇願され共同監督を引き受けてたりしていたが、この頃は創りたい映画を東映になかなか認めてもらえず、東映に籍を置きながら別会社で作っていた時期でもありました。
1973年(昭和48年)から公開された『仁義なき戦い』シリーズは、邦画史に残るヒットを記録し、実録映画の先駆けとなりました。映画『柳生一族の陰謀』、『復活の日』、『魔界転生』、『蒲田行進曲』、『バトル・ロワイアル』など、発表する作品の多くが大ヒット・話題作となった。テレビドラマでも前述の『キイハンター』ほか、『傷だらけの天使』 (2本演出)、『必殺シリーズ』、『影の軍団II』第1話などを演出しています。
1997年(平成9年)、紫綬褒章受章。2002年(平成14年)にはカプコンのプレイステーション2用ゲームソフト『クロックタワー3』のイベントCGムービーの監督を務め(モーションキャプチャ収録)、これが撮影終了まで関わった最後の作品となりました。

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息子に受け継がれたバトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】

2003年(平成15年)1月12日、前立腺癌の脊椎転移のため死去。72歳没。後に勲四等旭日小綬章を贈られました。深作は生前、副作用による男性機能の低下を懸念したために、抗癌剤の投与を拒んでいたそうです。未完だった遺作『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の監督は、プロデューサーを務めていた息子の深作健太に引き継がれました。

作風

暴力的な作品を撮る映画監督というイメージが強いが、本人が戦争という巨大な暴力を体験したことをきっかけに、「暴力を描くことで暴力を否定しよう」という考えが根底にあり、決して暴力を肯定していたわけではないといいます。だからこそ様々な批判を受けても、最後まで作風を変える事はしませんでした。アクション映画の監督と見られがちですが、小松左京原作の『復活の日』や檀一雄原作の『火宅の人』、『柳生一族の陰謀』や『魔界転生』といった時代劇、『おもちゃ』のような文芸作品からSFまで、幅広い作品を残しています。日本のみならず世界からも好評で、『ガンマー第3号 宇宙大作戦』はMGM配給で、『宇宙からのメッセージ』はユナイト映画配給でそれぞれ米国で公開されました。『バトル・ロワイアル』はフランスやイギリスなど海外でも注目をひき、香港では興行成績1位を記録した。クエンティン・タランティーノやジョン・ウーらは、彼を崇拝していることを明言している。全作品のうち、『おもちゃ』以外のすべての作品で人が死ぬシーンが描かれており、死について生涯こだわり続けたことがうかがえます。
初めて東映京都撮影所で演出した際には、殺陣師・擬斗師がいるにも関わらず、自ら殺陣や擬斗を細かく指示し、福本清三ら大部屋俳優のシーンにも綿密にリハーサルをしたので、大部屋俳優たちに驚かれた。(映画の)打ち上げ時に福本は「スターさんにあまり言わないで、なぜわしら(大部屋俳優)に細かく指示するのか? 自分たちは撃たれる時も殺される時も、かっこよくできる」と思わず質問。深作は「(大部屋俳優には)台本も渡されてないから、なぜ殺されるのか、殺された後、組がどうなるか、状況や背景を説明してるんだよ。映画はスターだけじゃなく、映っているみんなが主役なんだ。スターさんがどんなに一生懸命でも、スクリーンの片隅にいる奴が遊んでいたら、その絵は死んでしまう。だから同じ子分でも、それぞれが個性を出して殺されてほしいから、うるさいだろうけど、細かく指示を出すんだよ」と諭したそうです。福本は「この人、ただもんでないわ」と唸り、それまで大部屋俳優として幾度となく殺されてきたため、慣れ・自信・奢りがあったかもしれないと、反省したといいます。福本はこれ以降、与えられた役をとにかく一生懸命にやろうと転機になったと述べています。

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